齋藤大輔(2004年卒)国体成年男子SH級2位


悔しさが先立つ千葉国体2位

「国体のレースは短期決戦、とにかく初日にたたかない」というプランが見事にはまり、第一レースの超微風レースを3位、続く、第2レースを1位でまとめ、初日暫定トップというプラン以上の滑り出しをすることができました。
 迎えた大会2日目、天気予報では微風が予想された稲毛の海は白波が立っていました。強風のレースなら100%5位以内に入る自信があった僕は、その日、スタートラインの中央からリコールだけはしないよう安全なスタートをこころがけ、4-4位とスコアをまとめることができました。
 しかしその日、上位を争う東京都が1-1位、愛知県が2-3位と自分以上のスコアでまとめたため、辛うじて総合首位はキープできましたが、カットレースが発生する最終日には
●秋田(齋藤)8点(3-1-4-4)、
●愛知(永井)7点(2-15-2-3)、
●東京(城)4点(10-2-1-1)
となり、最終日にレースが成立すれば逆転されるという苦しい展開となってしまいました。
 最終日、長い風待ちの後、レースはスタートしました。優勝するためには、東京よりも4番以上先着し、愛知の前でフィニッシュが条件です。
 今考えれば、3位以上は確定していたので、愛知を抑えて、2位を取りに行けばよかったのですが、優勝を狙いたかった気持ちがあり、相手を抑えることよりも自分の考えを優先させ、好きなコースを取ってしまいました。その結果、愛知の先行を許し、愛知2位、秋田7位、東京25位となり、総合2位となりました。
 全ては、2日目に気持ちが守りになってしまったことが敗因です。追い詰められ、精神的に守りに入っていたにも関わらず、無理に強気になったことで、気持ちが焦り、おちついた判断ができていなかったのです。結果論になってしまいますが、愛知を抑えてレースをしていれば、1位になれた可能性はあったのです。昨年の3位から1つ順位を上げることができたことは喜ぶべきことですが、悔しさの方が多かった千葉国体でした。

大学4年間で得た経験

大学卒業後は「シングルハンダー(一人乗り)に転向してロンドンオリンピックを目指す!」 そう決めていた僕は、故郷の秋田で国体が2年後(2007年)に控えていたこともあり、秋田を拠点としてヨットを続けることにしました。
 しかしながら、目標としていた秋田国体は、第1レースにリコールをし、不本意な結果となってしまいました。このまま、ヨットを辞めようかと思ったこともありました。それでも、現役セーラーで居続けたのは、ロンドンオリンピックという目標が頭の隅から消えず、まだまだ、完全燃焼しきっていないという気持ちが自分の中にあったからです。そして、それから2年後の新潟国体で初の入賞(3位)、翌年の今年、千葉国体で2位入賞を果たすことができました。

「自分で決めたことに本気で取り組む」、そうすれば必ず成果は出てくる。それが、大学ヨット部4年間の中で僕が確信したことです。
 本気で取り組み、そのプロセスを検証し、成果を求め続けること。その中で培った経験は他では得難いものです。何よりも、4年間かけてそれを行ったというのが大きかったのだと、いま振り返って思います。いまの自分を支えているのは、明治大学体育会ヨット部で過ごした4年間の経験です。現役ヨット部のみなさんには、とにかく4年間、本気で取り組み続けることを切望します。

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